分野の壁を越える発想がスポーツをしない人にも感動を伝えてくれる。時には、言葉よりも強く胸に迫るものがある。(増田明美:スポーツジャーナリスト)
2023.04.05
■今日のバイブレーション■
分野の壁を越える発想がスポーツをしない人にも感動を伝えてくれる。
時には、言葉よりも強く胸に迫るものがある。
(増田明美:スポーツジャーナリスト)
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●今日のバイブレーションから思い浮かんだ事●
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本日のバイブレーションは「音楽でラグビーをしたらどうだろう」と考えた
音大生の卒業作品について、マラソンで有名な増田明美がのべた言葉である。
(2004年1月17日:朝日新聞に掲載)
まさに音楽は音の連鎖である。その作品は、ラグビーボールが、もつれ合う
敵味方の中で譲り渡されてゆく様を、音楽作品に仕上げたものらしい。
実際の演奏には立ち会ってはいないが、その学生の発想に僕はおおきな拍手
を送りたい。音楽の立ち上げ方が、いままでのスタイルで無いことが、良い。
時々僕は、音楽は、もう行き詰まっているのかもしれないと思うことがある。
メロディが出尽くしたという表現をする人もいる。あと50年早く生まれてい
ればと、天を仰ぐ輩もいる。これは作曲家や作詞家の世界だけの話ではない。
歌い手や演奏家自身も、シンと静まった夜、「僕は何をどうやって演奏する
存在なのか、わからなくなった」と呟くものである。
「そんなことはいつの時代でも当たり前のことだ」という声もあることに気
を払いつつも、やはり、今の時代は20世紀後半の、四半世紀に訪れた、飽食
志向に対応して供給側はすべての素材を、さらけ出してしまったと言って良い。
文化全般に小躍りするような発見がなくなってしまった。音楽も同様である。
(残るは火星の、地下回廊だけか・・)
何かを再発見するには、まずは手垢がついた考え方からの逸脱を旨とすべし
と考えたいのだ。その意味では、これは面白い試みであると僕は思う。
実は少し似た発想で、カナダのマリーシェイファーという作曲家の提案に、
音楽野球という素材がある。その学生さんが、それに気付いて、新たに仕掛けた
というならば更に良い。ああ、この学生さんに会いたくなった。
女子大生ならさらに・・いい。