「親守唄」つくりませんか
2023.04.05
■今日のバイブレーション■
「親守唄」つくりませんか
(財団法人たんぽぽの家 提案)
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●今日のバイブレーションから思い浮かんだ事●
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「君は夢を与える仕事なのだから」と言われて、まあ、怒り出す人はいまい。
ただ、その言葉に踊らされているうちに、その仕事なり個人なりが変容して
しまう可能性を含んだ、いわば華麗な毒の側面があることを、気に留めてお
かなければならない。
例えば、僕の暮らす音楽の世界も、そのように評された時代はある。
楽譜を読めることや、楽器を演奏する事、人前で歌う事などが特殊な人の特
別な才能であった時は、そうであったかもしれない。
けれど、今は、いささか様子が違う。
歌う事は、カラオケが普通に生活の中にはいりこんで、中高年にとっての
一番手軽な楽しみになっていること。また、電子楽器の発達は、それこそ、
手取り足取りで、点滅するライトを追いかければそれなりにメロディくらい
は、誰にでも弾けるようになったこと。電子楽器でなくてもいい。すでに居
間の片隅で、物置台にまでなりさがった生ピアノでさえ、少し気張れば・・
ビデオで、テレビで、何とか一本指奏法くらいは取得できる。
つまりは、だれだってその気になればミュージシャンの入り口に立てると
いう時代だ。「夢を与える仕事だ」と言われて、安穏静観している間に、時
代は音楽家を、総ざらいの篩い(ふるい)にかけてしまった。
本日のバイブレーションの提案は、音楽家に向けられたものではない。
新年の朝日新聞上での公募である。昨年から始まったこの募集には、全国か
ら815点が応募。詞だけではなく、作詞・作曲で完成された作品も多い。
「子守唄」に対応したのであろう「親守唄」という命名には、抵抗を感じ
るものの、親に対する感謝、思いを歌にするというテーマは捨てがたい。
これを音楽家のミッションとして捉えるか、他所事として無視するか、
それは自由である。ただ、ヴァーチャルな言葉遊びや美しさを失ったメロディ
では、対応できないジャンルであると思うとき、音楽が「夢をあたえる仕事」
として復活するきっかけの、一つになるかも知れない。