音風景あれこれ ⑪
2023.03.01
◆サティ◆
環境音楽の発想は、けなげでなくてはなりません。
押し付けであってはなりませぬ。その発祥は多分、このサティあたりにさかのぼ
りことになるでしょう。その曲の、どこから入っていってもいいし、どこから聴
き抜けていってもいいという「家具の音楽」を考案したサティの旋律を、その表
題、、例えば「梨の形をした3つの小品」「自動筆記」「干からびた胎児」など
と関連づける事は、いつも、ほとんど不可能な気がしています。聞き手の思い込
みを裏切ることから始めて、聞き手をラビリンス(迷宮)に追い込みつつ、「で
も、僕はまってるよ、ここで君を」と、いつまでも待ち続けている、動けない物
としての家具。そんな甘美なパラドクスを仕組んでいるのがサティの音楽なのか
も知れません。
彼の活躍した大正時代(没は大正14年)は、日本では、今、私たちが文化と呼
んでいるものの下書きが、何度も書き直された時代であったと思います。勇猛果敢
であった明治に決別をつけ、控えめであったけれども、未来につなぐ縒り糸を紡ぎ
始めた、あの時代の評価はまだ確定していないと思うのですが、人間の本質の一面
として軟弱への憧憬や回帰を、僕は感じてなりません。
前回のメルマガでふれた、大正ロマンを代表する竹久夢二の描く、いささか病身ら
しい女性が、弱々しくそよかぜに、ゆらぎながら、歩みよる幻想を、フィリップ・
アントルモンの演奏するサティ作曲「ジムノペディ第一番」の中に感じ取っている今夜の僕です。
「でも、私は待っているわ。ここで貴方を」